ちんたら療養日記4 

南の国からこんにちは

今日のよもやま(イースター編)

どうもー。イースターおめでとうございますー。

久しぶりに教会に行って(オイ)、いやあおめでとう~という感じでした。

そしたら、教区時報(教区内の情報が書いてあるお知らせ)に、

私が療養中にお世話になりおうちにも呼んでいただいた先生の息子さんが堅信したとの知らせが。

まあ★

お宅にお邪魔したときにはまだ小学校低学年のちびちゃんで、

「ぼくねー六年生に追いかけられたときに、トムとジェリーのジェリーみたいに逃げたんだよ!」

とか無邪気におしゃべりしていたあの子が、堅信!

あの、「堅信」というのは、いわゆるプロテスタントの教会での言い方で。

子どもが生まれると洗礼を受けるんですが(親が受けさせるということ)、それを幼児洗礼といいます。

カトリックでは幼児洗礼で既に一人前の信者として認められるんですが、

プロテスタントでは、自分で決断が出来る歳になってからもう一度、

自分の意思でキリスト教徒として生きていくと誓約しないと、一人前とは認められません。

プロテスタントの中でもたくさんの宗派があるので、「信仰告白」とか「堅信」とか、色々と言い方があります。)

教会の中で「一人前と認められる」というのは、礼拝(カトリックではミサ)でパンとぶどう酒をいただく、

専門用語で「陪餐」を受ける資格があると認められ、教会の籍に正式に入ることを意味します。

まー教会の中で「大人」として認められるということですね。つまり成人式?

宗派にもよりますが、堅信の資格が認められるのは小学校高学年か中学生くらい以上ですから、

いくら本人の意思とは言ってもあまり小さいと認められません。

んで。まあ、そんなちびちゃんが、いつのまにやらそんなに大きくなって…!

と、しみじみ感慨にふけってしまったのでした。

んで。「おめでとうございます~」とお手紙を書き。

んで、昨日から読んでいた、おなじみヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む。

うう。長い題名だよね。社学の院生はめんどいので「プロ倫」と略しますけど。

なんつーか、大学院に入ったころに「社会学専攻に入ったのだからプロ倫くらい読まなくては!」と読んで、

あまりの注の多さと言葉の難しさであっさり陥落してからはや数年。

一応、修論書いてドクター上がって再度読み直してみたら、

なんかすごいおもしろいんですけど!

どうおもしろいかは、たくさんの方々が既に論文とか本とかにしてらっしゃるので割愛しますけど、

やっぱり「資本主義の精神」の要因をプロテスタンティズムという宗教の側面から切り取ろうとする、

その発想と議論の展開や資料(具体例)の提示の仕方というのは、

やはり社会学の古典と言われ多くの人々に読まれてきただけのパワーがあると思います。

私も不勉強ですから正確には理解できていないと思いますが、

やっぱりヴェーバーはスゴイ!!と、巨匠の偉大さを思い知ったのでした。(今更かよ)

でもやっぱ、内容は結構難しいのでプロ倫は初学者には向かないと思います…。

そんなイースターでした。