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ちんたら療養日記4 

南の国からこんにちは

チキンな日々

どうもこんにちは。

最近、どうにも進まないというか、一歩を踏み出せずに悶々としている毎日です。

何がかというと、まあ、研究ですわ。

毎日遊んでるわけではないですよ?一応言っときますけどね!(怒)

何が悶々としているかという具体的な話をここでするわけにはいかないので、

(というかここでしてもいいけど意味不明だろうからなあ)

簡単に言いますと、今回、少し新しいジャンルを開拓していて、

その辺をまとめなくてはと思っているのですけれども、

その際の柱というか方向性を決める骨の部分が、

なんというか、そこそこメジャーというかなんというか。

今までひたすら日陰の道を歩んできてて、

あたしがなんて言おうとみんな初めて聞くようなテーマだから結構気楽だったんですよ。

だからって楽なわけではなく、一から説明して一発で分かってもらうためには結構骨だったんですけどね。

それが、今回初めて、たくさん先行研究があるジャンルで、

ちゃんとフォローしきれているのか、ちゃんと把握できてるのか、

すごく不安が残るのです。

というか、何より私が恐れているのは、今回の研究が、

特にセンシティヴかつナイーヴなテーマに抵触しそうだからなのです。

パーティーなどの公共の場で、慎まないといけない三大タブーがあるのをご存知でしょうか。

性、政治、宗教です。

今回の研究でモロなのは、そのうちの政治。場合によっては宗教も入ります。

しかも、私の専門は歴史、しかも戦前期。

つーかそもそも、このジャンルでそういうテーマに触れてこなかっただけでも亜流なんですが、

調べれば調べるほど、その内側というかなんというか、内情にピリピリしてしまうのです。

そもそも、社会学文化人類学は、そういったタブーの部分に切り込んでいくことを、

大きな研究意義の一つとして持っています。

ですから、博論にまとめるうえで当然触れないわけにいかないし、それを前から覚悟していたつもりでした。

でもここにきて、どうしてもその部分に触れざるを得ない段になって、

怖気づいてしまっているみたいです。

研究は本来、研究内容と研究者自身の価値判断はイコールではないという前提に立っています。

どうしてもにじみ出てしまうものでもあるのですが、

特に、上記の社会学文化人類学は、研究対象が人間であるがゆえになおさら、

研究としての価値判断と研究者個人の価値判断を厳しく峻別しなければなりません。

「こういう理論の上ではこういう価値がある」と言うのはいいけれど、

「俺はこれを正しい/間違ってると思う」と言うことはルール違反なのです。

なぜなら研究は、研究者個人の思ってることなんか求めてないからです。

しかし、研究者個人がその対象についてどのように判断したのかは、如実に表れる。

ここでは、「価値判断」と「判断」は別になります。

「良い/悪い」は別として「それ」を「どのように捉えたのか」が、どうしても透けてくる。

それって、もう、研究者個人の価値判断がモロばれな方がよほどましなくらい、

「研究者としての自分」の資質そのものが出てしまうのです。

これ、すごくこわい。

外から丸見えの透明な部屋の中で仕事をするようなもんです。

それでしかも、テーマがテーマ。

ピリピリが二倍どころか、二乗してますよ。

仕事場で「お前性格最悪だな」と言われるのはつらいけど、まあ、しょせん、職場だし、

嫌われても仕事に支障がなければ別にいいじゃん、になります。

でも、「お前仕事できない屑だね」と仕事場で言われたら、それって致命的ですよね。

要は、まあ、いまさらビビってるんですよ。

そろそろ、死刑宣告が出るんじゃないかって。

でも、分かってもいるんです。

ここで手を抜かないでやり遂げないと、博論以前に、研究をする資格もないって。

だから、怖くて怖くて仕方ない。

でも、やるしかない。

そんな、チキン野郎の毎日です。